作文 「生きずらさ」を「生きやすさ」へ
千代田西部小学校 六年 小森 美緒
皆さんは、どういう時に生きづらさを感じますか。または、生きづらさと感じたことはありますか。
今から約八年前、相模原障害者施設で多くの人が命を落とした事件を知り、とても衝撃を受けました。加害者は「意思疎通のとれない重度の障がい者は安楽死させるべきだ」、「しゃべれない人間は不要だ」と言っていたことに、私はとても悲しく怒りを覚えました。
なぜなら、私には三つ下に重度の知的障がい自閉スペクトラム症の妹がいるからです。妹はしゃべることができません。それでも妹はいつも可愛い笑顔でいてくれて、私達家族を
幸せな気持ちにさせてくれます。
このように障がいがあるからといって、何も分からないわけではないし、他人が障がいを否定することは許されないことだと思います。被害にあった人たちにもそばで支え、大切に思っていた家族の方々がいるのです。そのような家族の方々の気持ちを考えると、とても自分のことのように苦しくなります。
私は、今のところ何の障がいもなく日常生活を送れています。だけど、自分が障がい者になってしまうかもしれません。そんな時、自分が人から傷つく言葉を言われたり、嫌なことをされたら自分はどうするだろうと考えました。周りの人に助けを求めることができるのか…。
私の妹は、しゃべることができないので、きっと自分から助けを求めることができません。私たち家族は、一緒にいる時間が長いのでなんとなく困っている様子が分かり、対処できるのですが、周りに障がいを持っている方がいない人には難しいことだと思います。
だからといって見て見ぬふりをしたり、暴言を吐いたりすると加害者になるのです。分からないからといって何もできないわけではなく、分かろうとする気持ちが大事なのではないでしょうか。
夏休み、私は両親、妹と一緒に「2024さが障がい児花火鑑賞会」へ参加しました。初めて参加したのですが、医療的ケア児をはじめ、聴覚障がい児、視覚障がい児、発達障がい児など、たくさんの家族が参加していました。声をあげたり、走り回ったりする子もいましたが、周りのスタッフの方々は優しく笑顔で接していて、とても優しい気持ちになりました。
花火大会といえば、たくさんの人がいてにぎやかで楽しい場所ではありますが障がいがある人にとっては苦手な場所なのです。ですが、今回イベントに参加してみてビルの中の静かな場所でゆっくり、安心・安全に花火を見ることができ私も、そして他の参加者家族も笑顔で楽しい時間を過ごすことができました。
このイベントは私達家族、参加された、たくさんの家族にとって、すばらしい機会になりました。たくさんの方の支え、努力によって開さいされたんだと思います。
生きやすい社会にすることは、決して一人の力では実現できないことです。人と人とが支え、助け合い誰もが平和な世の中になると社会は明るくなると思います。「生きづらい」と感じる人が「生きやすい」と思える世の中になってほしいと私は強く願います。